汚部屋の民
栽培スペースの写真を見て「うわっ」と思われた方もいらっしゃるだろう。私は汚部屋民だ。親のせいではない。両親からはいつも「片付けろ」と言われて育ち、頻繁に怒られては見かけ上綺麗な部屋を取り繕っていた。しかし実態は綺麗に並んでいるように見える押し込み方をしただけで何がどこにあるかは片付け前よりも分からなくなっており、探し物を一度しただけで化けの皮は剥がれた。
結局十数年間騙し騙し生きてきて、根本的には何も解決しなかった。浪人、大学生となって一人暮らしを始めた途端、地獄が形成された。たった2、3週間いただけの合宿免許の旅館さえこの運命は避けられなかった。我ながら大したものである。唯一まとまった期間綺麗な部屋が持続したのは、親や世間への負い目みたいなもので買い物をあまりせず散らかるものの少なかった浪人前半くらいだ。
この片付けの出来なさは先天的なものらしい。父も確実に同じ血を持っている。ただ父は、50年以上の人生でふたつの対症療法を身につけていた。家庭内ノマド法と、煉獄部屋だ。父の仕事机や寝床の配置は、帰省するたびに変わっている。去年の夏に帰った時は何故かキッチンにテントを張って寝ていたし、先日見た時はトイレのドアを塞ぐ形に布団を敷いていた(うちのトイレは出入り口が二つあるので困らない)。
「片付け」と思うと気乗りしないが、「模様替え」ならワクワクすると無意識に学んだ結果なのかもしれない。父は遊牧民(ノマド)のように家の中での居場所を変え続け、ついでに片付けも定期的に行われる仕組みを作っている。そしてその過程で出た「捨てたくないけど使わないもの」などは、煉獄に落とされる。
捨てられないものはとりあえずどこか一部屋に雑多に押し込んでおけば、居住する部分は綺麗になる。ドアをひとつ開ければ人間が通る隙間も怪しいような密林が顔を出すのだが。そしてこの煉獄部屋で古びてゆくうちに捨てられなさは薄れてゆき、父が未練をなくした物から成仏してゆくことになる。
煉獄は語感のせいか地獄のひどい版みたいなイメージだが、カトリック的には逆のようだ。地獄は無期懲役、煉獄は有期懲役みたいな感じという例えで間違っていないだろうか。煉獄は地獄に行くほどではないが即天国にも行かせられないマイルド罪人が行く場所で、煉獄での刑による浄罪が終わったら天国に行くことができる。捨てられない物押し込み部屋も、父の未練が薄まり成仏できるのを待つ場所であるから、煉獄の方が適切な名前ではないか。
こんな感じで父は快適に過ごしているが、ノマドにしても煉獄にしても、家が広くないと出来ない手法だ。ほぼワンルームの私の部屋では室内引っ越ししようにも移住先が無く、煉獄を作ることも出来ず部屋全体が地獄に墜ちる。
汚部屋の民の暮らしはスライドパズルに似る。正方形のマスの一つだけが空いており、その空きスペースを利用してパネルをスライドさせていくアレだ。汚部屋を一歩進むには、目の前の障害物を自分が立っていた床に移さなければいけない。足元は悪く、何を踏むか分からないから外来人には「靴は脱ぐな」と釘を刺す。物を踏んで歩くときは、下に柔らかいものが無いかを確かめるようにそっと体重をかける。潔癖な人は泣いて逃げ出すような暮らしだが、これも案外楽しいのだ。あー、部屋があと三倍くらいあればなあ。
2022年4月14日水曜日
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